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2008-10-02田中ロミオと"普通"の希求再び

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田中ロミオの『AURA』読み終わった。「普通への希求」(と自分が勝手に思ってる物)のテーマは非常に射程が広くていいなぁ…。

普通と特殊に関しては、『C†C』『イマ』の人間/非人間ラインと、『おたぐら』『AURA』の一般人/オタラインで、どうでしょう(何が)。

甘い罠のような気がしないでもないけど、あえてそこに固執してみる。

あずさや笛子の「友達うまくやれてる?」という台詞(人間/非人間ライン)と

良子の「"普通"のやり方、おしえて」(一般人/オタライン)は

最終的には一つの流れになると思う。

「こういうもののせいじゃない、きっとな。俺が弱いってだけだ。かっこつけるって以前に、普通になるのって努力がいると思う。みんな頑張って、普通やってんだと思う。異世界の剣士だって自慢したって、そんなのは格好良くなんかないんだ。俺、自分が嫌いなんだろうな、たぶん。それでも、ましになりたいんだろうな、いつか」(『AURA ~魔竜院光牙 最後の戦い~』p.331)

 そしてついに、

「くらぁー! なんじゃあこの騒ぎはぁぁぁ! この生徒指導の猪俣がいるとわかっての狼藉かぁぁぁぁ!」

 宴の終わり。我先に自分の席に戻ろうとする者たちが机を椅子を蹴倒し、互いに衝突しながら冷えた秩序に向かって最後の混沌を炸裂させた。

 そんなビッグバンの中、俺と良子はどちらからともなく手を繋いだ。

「一郎」

「ん?」

 混乱にまぎれて、あいつはそっと耳打ちする。

「"普通"のやり方、おしえて」(p.351f.)

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2008-07-10

[]『らくえん

ギャルゲーだかパソゲーだかエロゲーだかにエロは必要なのか。


「みんなエロだけ求めてるわけじゃないでしょ」

「みんなエロは求めてるでしょ」

「美柴先パイは男を単純に考えすぎだと思いますよ」

「男なんて射精したいだけじゃん」

「違いますよ」

「じゃ、なんでエロシーンが必要なんだよ」

「それは……恋愛を描く以上、セックス描写は避けて通れないってコトでしょ?」

エロ描写を描くのに、恋愛が都合いいって

そんなふうにしかあたしには見えないな」

「曲解しすぎです」

「自分に正直になれば? 男の子

「ムカつくな-」

「図星さされてるからでしょ」

「だいたい美柴先パイエロゲユーザーをバカにしすぎですよ」

「あたしのどこがエロゲユーザーバカにしてんのよ。

必要なものをちゃんと提供しようと思ったら、

作り手側に奇麗事言ってる余裕なんかないぜ」

「美柴先パイに男のエロがわかるんですか?」

「オメーにはわかんのかよ!?

ユーザーが欲しいエロが」

「…………」

「………………」

気まずい空気が流れた。

美柴先パイの言うこともわかる。

けど、それだけじゃないだろうとも思う。

正しい答えなんかない。

だから。みんな考えたり悩んだりするんだ。

(『らくえん』)

「正しい答えなんかない。だから。みんな考えたり悩んだりするんだ」

青春だなぁ……。青春というかエロゲプレイヤーは、

思春期の問題圏(エロ恋愛は両立するかとか?)を今まさに生きてるのかもしれないなーと思ってたら、

なんかそういう話題、昔考えていたような。かなーり昔に……。

ここら辺の問題圏につなげられるかもしれない。

昔、自分が書いた文章。

思春期はまだ続いている……? - 恋愛ノスタルジィ(試運転中)

 私たちは、思春期キャラクター葛藤ドラマを通じて、……〔中略〕……現に今でも私たちはキャラクターを愛しつつも欲望の対象にしているという[問題]…〔中略〕…を暗黙のうちに知ることになるのです。

 『クロハ』や『はるおと』が切なく感じられるのは、単に「もうそこに戻れないから、そこが懐かしいから」という思春期に対する郷愁の念だけではありません。そこに私たちは、エロゲープレイする自分自身の性の在り方という現在進行形の問題を重ねて読み取ることができるからこそ、切なく感じるのではないのでしょうか。

萌えと欲望の間で、とか萌えと陵辱の狭間で、とか。そんな感じ。

む。待て。確か東氏が例に挙げてたのって、『YU-NO』とか『AIR』じゃなかったか?

だとしたら、なんか根は深そうだな……。美少女ゲームってくくられてたっけ、

18禁ゲームって書かれてたっけ……。自分ももしかしたらエロ不要論の中を動いてるだけなのかもしれんなw

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2006-10-19

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 ある方の日記を見ていて思ったこと。

 その方は飽きっぽいそうで、趣味とかもだんだんと移り変わっていくみたい。

 自分もそういう性格なので、もうあきらめかけてるんだけど、いわゆるマニアやオタクの人たちをすごくうらやましく思ったりする。いや、「俺オタクじゃないよ、普通の人だよ」とか安全地帯に逃げたいのではなくて。そこまでの情熱を持ち合わせていないから、マニアやオタクの人々がすっごいうらやましかったりする。何か一つに完全燃焼してみたいんだけど、いつの間にか冷めちゃってる。おかげでどれも中途半端。

 例えば一般人よりエロゲの話題を話せるけれど、エロゲオタからしたら話すほどの価値もない、みたいな(笑)。

 そんな自分をちょっと励ましてくれるのがパスカルの文章。いや、哲学をそういう風に人生の指針に使うのは本来の使い方ではないことはわかっているけれど。

〔すべてを少しずつ。

 人は普遍的であるとともに、すべてのことについて知りうるすべてを知ることができない以上は、すべてのことについて少し知らなければならない。なぜなら、すべてのことについて何かを知るのは、一つのものについてすべてを知るよりずっと美しいからである。このような普遍性こそ、最も美しい。もしも両方を兼ね備えられるならばもっとよいが、もしもどちらかを選ばなければならないのだったら、このほうを選ぶべきである。世間は、それを知っており、それを行っている。なぜなら、世間は、しばしばよい判定者だから〕

(パスカル 『パンセ』)

 専門的知識(「一つのものについてすべてを知る」)というのがオタクやマニアの特徴の一つであると思うんだけれど、他の生き方(「すべてのことについて何かを知る」)もあるということで。スペシャリストとジェネラリストの関係にも通じるところがあるのかな。

 別にどっちが偉いとかそういうつもりはありません。そういう生き方もあるよね、くらい。色々な話題を話せれば、話が通じる人の種類が増えると思うんだけどな。例えば言語を浅く広く知ってると、その国の人と会った時に(たとえそれが初めは表面的なものであれ)意気投合するみたいな。

 そういう問題でもないのかな。それに、趣味人の中にも案外同じように旅人(偶然にそのジャンルを横断中なだけで、その道の専門家になろうとはしていないような人)がいたりして、生涯の友達になる人がいたりするような気がするんだけど。

 別に自慢するわけじゃないけれど、昔、所属していた趣味のグループの人で今でも交流してる人が何人かいる。個々の細かい話、最近の話はやっぱり知らないからついていけない。でも、「ごめんそれ知らないんだけど」というと丁寧にわかりやすく最近の流行とか系譜を教えてくれる。それとか、こちらが今興味を持っている趣味でその人は全く興味を持っていないものでも、その人のジャンルの考え方から何かコメントをくれたりする。そういうのがいい友達(いいとか悪いとかつけたくないけど)なんじゃないかな、って思ったりもする。

 要は「趣味コミュニケーションは趣味に興味をなくすと縁が切れやすい」とか、そういう問題じゃなくて、その趣味を愛している人の人間性の問題なのか? 確かにこちらが利用できない、話が通じないと知ったトタン冷酷で見下したような(俺的被害妄想主観)態度を取る人とかいるよな。そういう人はたぶんそのジャンルの深い情報を欲しているのだろうから、僕みたいな非専門的人間はお呼びではないのだろう。なんか無駄に文章が長くなった。トラウマにでも触れてしまったのだろうか。

topheltophel2006/10/19 21:59 こんばんは。
 文芸イベントがもっと盛り上がると個人的にはうれしいですね。今回の燃やし賞は終了後に感想を書こうと思ってますが、やっぱり講評となるとかなり時間かかりそうです。自分は小心者なんで、あまり過激なことを書けませんし、元々そんな力量もないので。でも、自分の作品に他者の意見がくっつくというのは後のためになります。そんなわけで、四十五作品集まったら四十五回頭を捻る予定です。正直怖いぜ……。

yu_iyu_i2006/10/19 23:58こんばんは。別に感想とかでもいいと思いますよ。それに全部にコメントしなくても「これが好き」「これが良かった」でもいいと思いますし。たとえそこで選ばれなかった人も、ちゃんと作品に目を通してくれて、しかもコメントをしてくれるって人がいるだけで、「今度は選ばせてみせる!」って感じでがんばれるんじゃないかなあって。それとそういう風にオーディエンスの存在を示すことでイベントが盛り上がるような気がします。勝手な推測ですけど。

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2006-10-03いわゆるひとつの現代学園異能

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『ぼくと魔女式アポカリプス』の冒頭と『絶世少女ディフェンソル』の最後の部分の文章がなんか妙に噛み合ってる気がしたのが笑えた(興味深かったの意)。違う作品のはずなのに、妙にしっくり来る。以下、二つの作品の文章引用してます。

 結局――『普通』という言葉は何なのか。

 特別ではないということ。飛びぬけていないということ。個性がないということ。

 日本語学校的な定義はともあれ、ぼくにとっての定義は単純だ。

 つまらないということ。

 最近は没個性という概念を自己欺瞞で封殺するのが主流のようだけど、もともと大切なオンリーワンなどという歌詞はきっと嘘っぱちで、それは街角の自動販売機一つ一つに名前をつけて一人で悦に入っているようなものなのだ。たとえそこで一つが壊れたとしても、硬貨を入れる対象が別の自販機になるだけだ。結局全てが代わりの利くものであることに変わりはない。

(水瀬葉月 『ぼくと魔女式アポカリプス』)

 慎はユイナに手を差し出した。

 その手はどこにでもある、ひとりの少年の手だ。

 大きくもなく小さくもなく、優れた力があるわけでも確かななにかをつかんでいるわけでもない…………ありふれて平凡な少年の、手。

 だが慎は、その手を差し出した。

 選ぶために。目の前の道を、目の前の相手を。

 誰かに選ばれるのでなく、自分で選び取るために。

 世界でたったひとりにとっての、"特別"であるために。

(マサト真希 『絶世少女ディフェンソル』)

 なんか現代学園異能(の一部?)って、少女漫画の延長上にあるような気がしてきた。ちゃんとカッコでくくって強調しているところも対応してる(ように見える)。なんかテンプレでもあるのだろうか。それともこれが現代学園異能の文法みたいなもんなのだろうか。

 あーよく考えたらこれ別に現代学園異能じゃなくてもいいや。ファンタジーとかRPGで伝説の勇者とかになっていく過程と同じか。現代学園異能は、それを承認する役目の人が女性であることが多いっていうだけで。シンデレラストーリーとかサクセスストーリー。

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2006-09-18

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モノーキー:物語は愛を語る。って言葉が思いついたのでざれごと。


を読んでて思い出した。

 ……でも愛情と物語は、ひょっとしたら同じものなのかもしれない。そう、愛とは祈りで、物語も祈りだ。でもそういう本質的なところだけじゃなくて、構造も似たようなものを持ってるのかもしれない。それともひょっとすると、愛情と物語は全く同一のものなのかもしれない。一つのものを、僕達はあるときには愛情と呼び、またあるときには物語と呼んでるのかもしれない。

(舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる』p.168)

毎度単なる連想ゲームなんだけど。こういう気質なんだから仕方がない。引用のネットワークがつながっちゃうんです。だからメモメモ。書くことは祈りだというのはリルケかなんかも言ってた気がする。とかなんでこんなことをだらだらと書いてるのかというと、いちおう引用だけだったら悪いかなーなんて思ったりもしている贖罪行為なのです。なんて言ったりして、これってなんだっけ、テキストなんとかっていう技法なんじゃないの? そろそろ主従関係が出そうですかね。っていうか、引用の妥当さも問われるんでしたっけ? だったらなんか語っておかないととか思うんですけど。うーん、舞城氏の文章を読んだ時は、愛と物語の関連性については「それはそうかもなー」とか思ったけど、祈りとの関係はちょっとわからなかった。なんかかっこいいので入れてみましたみたいな。でも今思い返してみると、作家の苦しみ、閃きが降りるのを待つとか啓示を受けるようなタイプの人はもしかしたら、その姿勢は神との関係に似ているかもしれないし、物語るということが祈りとつながってくるかもしれないと思った。それだけ。もう充分でしょ? じゃあ。


追記

カフカの日記に書くことと祈りを結んだ文章があるらしい。しかしこれだけでは情報不足。なんで祈りが出てきたのかわからない。前後にも言及なし。他人との関係を脱して、神との関係に入るから? キリスト教良くわからないからわからない。

 彼は他人に認められようとして書いたのではない。書くことに命そのものがかかっていたから書いたのだ。日記で述べているように、「書くことは祈りの一形態だ」。

(オースター「カフカの手紙」 『空腹の技法』所収)

natu3kannatu3kan2006/09/19 11:05連想する事が話を駆動させたり、面白い話を生み出すのに重要なファクターではあるなあと昔から思っている今日この頃。連想が連想を生む状況のときって筆が乗りませんか?
あ、これは自分だけかもしれない。

yu_iyu_i2006/09/19 22:23どうもです。natu3kanさんと同じく、自分の場合も、連想は結構筆を進めさせてくれると思います。ただ、連想の場合って「俺天才!」みたいな感じでその方向に頭が凝り固まっちゃうので、色々な可能性を模索してる時にはやばいかもです(自分の場合)。夜にハイになって書いて満足して寝たら、朝起きて「こんなのありえない」みたいな(笑)。

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