|
|
||
流れていくものを留めるのは難しい。必死に書きとめておこう。
なんかこう書いていると麻枝准の作品はギリシア悲劇に近いような気がしてきた。いや、「泣きゲー」だからそうでもおかしくないんだろうけど……。思っていたよりも悲劇な気がする。起こる出来事というのは人間レベルでどうしようもない事があったり、その出来事に際して動く人間の振る舞いを観察する。
じゃあ田中ロミオが目指しているものはなんなんだろう? 思いついたのはセラピーとかだけど……。
オースターのインタビューより(『ポール・オースター』彩流社 1996/増補版 2000)。
孤独を陰鬱な概念と考える人も多いようですけど、私はそこにネガティブな含みを持たせたりはしません。単なる事実であり、人間であることの一つの条件なのですから。私たちは他者に囲まれてはいても、本質的には自分の人生を一人で生きている。(33f.)
自我の感覚は私たちの内面の意識の脈動、果てなき独白、死ぬまで続く自分自身との対話によって形づくられています。そしてそれは絶対的な孤独の中で起こるものなのです。他人が何を考えているかなんて知ることはできません。表面は見えますよ。目、顔、体。でも何を考えているかはわかりませんよね。本当の意味で彼らの声を聞いたり、彼らに触れることはできない。彼らは壁の向こう側、私たちから隔絶されたところにいます。
これについては神経科医のオリバー・サックスという人が鋭い観察を行なっています。彼によると、一人の人間、つまり一貫したアイデンティティを持っている人間は、自分の人生の物語を絶えず自分に語って聞かせているっていうんです。自分の物語の糸をたどっている。ところが脳に障害がある者の場合、この糸が途中で切れています。糸が切れると自分を一つにつなぎ止めておくことができなくなってしまうわけです。
でもそれだけじゃありません。確かに私たちは一人で生きていますが、同時に私たちは他者によって作られており、私たちのあらゆる部分が、そのことに由来しています(34)
孤独は人間であることのひとつの条件。自己と他者。他者は触れることはできないという隔絶の感覚。「一貫したアイデンティティを持っている人間は、自分の人生を絶えず自分に語って聞かせている。自分の物語の糸をたどっている」。(ということは、断片化してしまった物語を回収していくのはアイデンティティ回復の道筋を表しているのか??) 他者を通して自分を発見する(ここからラカンの話に行くのだが、ラカンはわからん)。
「「孤独」とは自分の中に閉じこもる時の本質的な条件であると同時に、他者を通してのみ意識されるもの。これは矛盾にも聞こえますね」
オースター
「ええ、ですが他に表現のしようがないんです。結局私にとって驚異なのは、一人になってやっと他者とのつながりが理解できるようになる、ということかもしれません」(34f.)
孤独とは自己閉鎖する時の条件であるとともに、他者を通してのみ意識される。そしてその孤独において初めて他者とのつながりを理解する。整理。
前者はもろに田中ロミオのテーマと近づけられるかもしれない。後者はどうなんだろうな……。自己回復のプロセスとかなのかな。イマだったら使えそう。
物語は彼女の愛を救い、不幸が見舞ってからは彼女の生を救った。「あらゆる悲しみは、それを物語に変えるかそれについての物語を語ることで、耐えられるものとなる」。物語は、それ以外の仕方では単なる出来事の耐え難い継起にすぎないものの意味をあらわにする。
(ハンナ・アーレント 『暗い時代の人々』「アイザック・ディーネセン」)
なんか物語る事による回復はここら辺も思い出した。不条理だったり、不条理に見える出来事の連続から、意味を見出す。それがいわゆる因果的物語へと回収していく作業なのかもしれない。物語る作業が自己を確立することになり、その自己確立作業の中で他者とのつながりを見出していく――なんてつながったらいいなぁ(笑)。