yu_iの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

 | 

2006-06-05

[]「そうか! ハルヒは私なんだ!」

涼宮ハルヒの憂鬱 アニメ化小説研究室 なぜこの小説は人気があるのか?


 ほとんどネタバレしませんが、『涼宮ハルヒの憂鬱』の粗筋について少し触れています。あとアニメ版の9話「サムデイ イン ザ レイン」にも触れてます。



 えっと、まず『ハルヒ』に関して、自分の好きな読解方向を挙げてみる。日常に退屈し、非日常を求めるハルヒ。実は既に彼女の周りには、非日常な存在や出来事が集まってきていて、皮肉にもその事にハルヒ自身は気付いていない――こういう読み方が好きです。なんというか自分自身も非日常の一つでありながら、それに気付かず日常から脱しようと非日常を探し求めるハルヒの姿は切なくすらあるというか*1。要するに日常-非日常みたいなラインで論じるのがすきなんですけど。上の記事を読んでいて、ちょっと違う考え方を思いつきました。


 この作品は、主体的に行動すれば世界を変えることができるという、

 ポジティブな精神に支えられています。

 「強く願うことは実現する」「世界は観察することによって存在している」

 という観念論的な世界観によって、この作品世界は作られているのです。

 「自分がこの人生の主役だ! 世界だって変えてみせる」という主張は、 

 決して傲慢ではなく、大いに好感が持てるものです。

 僕の読み方はセカイ系のパロディみたいな感じで、ハルヒ=「キミ」で世界の命運を握る少女で、キョン=「ボク」で、二人が出会った時に「セカイ」が……みたいなものだったんですけど。よく考えてみたら、世界の命運の帰趨をそれぞれの読者に任せてもいいわけですよね。ハルヒみたいに前向きに自分から動くことで、世界が変わる――そういうメッセージとして受け取っても良いのだなあ、と上の文章を見て思いました。

 

 青い鳥のごとく、非日常を求めながら自分が実は一番非日常でした、とか。部室に用もないのに顔出して、何か面白いことないかなーとか言ってだらだら過ごすような、たわいのない思春期の日常の1ページに何かを見出すとか*2。これらはハルヒの物語に関する読みなわけですが、その物語が自分に跳ね返ってくる仕方なんて全く想像してなかった。自分は単なる鑑賞の立場にいたというか、どうやったらハルヒの物語を面白おかしく読めるか、みたいな所に拘泥していたのかもしれません。


 それに比べて上の記事では、人生に影響を与える作品として『ハルヒ』を語っている。ハルヒの立場を読者である自分に当てはめている。なるほどなーと思いました。そんな読み方もあるかぁ。私もあなたもハルヒで、世界の要なのです。観念論を突き詰めていくと、色々と不都合は出て来るかもしれませんが、人生のポジティブな教訓に留めておくならば、十分に価値はあると思います。


 あ。突然思ったんだけど。ハルヒと同じ年くらいの子は、この記事みたいに「私も前向きに動こう!」「退屈だったら自分で何か楽しいこと探せばいいじゃない!」ってハルヒから学ぶのかなぁ。ちょっと周りに聞いてみよう。

 あと書き直してて思ったけど、自分=ハルヒで「前向きに行こう!」と思っていたとしても「自分の足元に目線を向けよう、案外楽しいことってそこら辺に転がっているよ」というのは矛盾しないから、そういう気持ちがあってもいいと思った。この記事を受けて感銘を受けたのは、やっぱり自分の問題として『ハルヒ』を読む所だとと思う。なんちゅーか自分は鑑賞対象として、セカイ系の一変種くらいにしか見てなかったから。


『ハルヒ』流のセンスオブワンダーについて少しメモ。

幻視球: 『涼宮ハルヒの憂鬱』#9の作り込みに拍手


 同意してくれなくても俺は書く。注で書いたハルヒ流のセンスオブワンダーみたいな話題。アニメ版『ハルヒ』の9話「サムデイ イン ザ レイン」の感想で好きな感想が上の。

 最後に、観ていてゾッとした演出。「奇行」が奇行として描かれず、ありふれた学校生活の一部として淡々と描かれる。音声で挿入される「他の無個性な部活動」に埋没するレベルの存在感。あれだけ暴れ放題で浮いていた連中が、日常に回収されていく様。もう何とも言えない物悲しい気分に…。

 実質的な最終回?なのですか?この結論はリアルで辛いですよ…。

「ゾッとした」「物悲しい」「リアルで辛い」っていう表現が自分の感覚と同じなのか、違うかはちょっとわからないけど。このシーンは好きだ。喩えて言うならば巫女さんが処女を失って、もう能力が使えなくなった時の悲しさのような感覚なのだろうか? ハルヒにはずーっと個性的で破天荒なままでいてほしかった、日常から逸脱していてほしかったという意味なのかな? それとも最終回を迎えるのは寂しいって意味なのかな?

 

 僕としてはハルヒが、非日常の面白さに等しい面白さを日常の中に発見したという微笑ましいシーンに見えるんだけど。やっとハルヒもみんなの中に溶け込めたというか。持て余していた個性を落ち着ける場所が見つかったというか。こんな所にまで俺、田中ロミオの普通への希求テーゼを持ち込んじゃってるのかな。どうなんだろう。普通って結構難しいことだと思うよ。ハルヒがこのシーン以降も世界を揺るがす力を保持しているかはどうでもよくて(どちらでも話として成立すると思う)。日常のワンシーンとして微笑ましいと思うんだけど。タブーを犯しているから最終話的見方になるのかな。


My Favorite Days - 『サムデイ イン ザ レイン』を見て

 そして、今作では涼宮ハルヒシリーズの約束事の2つが破られています。極端な言い方をすると、2つのタブーを犯しているわけです。


 ひとつめは、何も事件がおきないこと。


 そもそも、この物語はハルヒを中心として巻き起こる、日常の中の非日常がテーマだと思います。そんな中で、今作はキョンは単にお使いをさせられ、古泉は単に淡々とハルヒの指示に従うのみ。みくるは単にハルヒにいいようにされるだけ、長門は単に本を読み続ける。そしてハルヒはいつものようにわがままを振りまく。

 特に事件はおきません。ただ単に日常が描かれています。

 ふたつめは、キョンがいないシーンの描画があること。

この日常が涼宮ハルヒの望んだものであり、今作こそが涼宮ハルヒの憂鬱シリーズの最終話なのではないか。

 ハルヒが事件を起こしてナンボなシリーズなわけで、その作品の中で何も事件が起きない=シリーズ最終話だって感じですかね。世界の命運を握るハルヒが夢見たのは、こういう日常だった、と。

 なんていうのかな、「合コンで恋人を探すのが目的な子が主人公の話があって、その子がなんと恋人をゲットしちゃった!」→「そもそも合コンゲットがテーマだったんだから、話としては終わりじゃん」みたいな。まだまだ恋人との恋愛も描けるけど、メインの部分は失われちゃうのかなー。そうかもなー。

 ってことはハルヒは永久に、日常の側に安楽の地を見出せないのかなあ? たぶんそれが「ハルヒ……かわいそうな子」って感覚なんだろうなぁ。なんか一生懸命に空回りしているのを見ているのが痛々しいというか。人生ってそんなもんですか? そうですか。


追記 涼宮ハルヒと『ほしのこえ』とセンス・オブ・ワンダー

In a flurry/水陸両用日記 2003年7月

 涼宮ハルヒの求めているものを一言で要約すると、「センス・オブ・ワンダー」になるわけで。SOS団というのも、あれは実のところSOW団なのかもしれない(今になって、ようやくそのことに気付いた)。

 悲しいかな、涼宮ハルヒは「センス・オブ・ワンダー」を自分の生活の外にしか求めることが出来なくて、そのことが彼女のSOWを「寂しさ」や「恋心」の次元で回収されてしまいかねないような、そんな隙を生んでいるわけなのだけど。

 ハルヒのセンス・オブ・ワンダーが、僕の言う所の日常的場面(「寂しさ」「恋心」)へと回収されてしまう事を危惧する意見も。まあそうだよな。日常に着地し、友達ができ、恋人ができたところで、鋭敏な感覚が失われてしまうかもしれないし。というか、日常にいながら非日常な感覚を維持できるようにハルヒにはなってほしいんだけどなぁ。矛盾してるけど。


ノボル「ねえミカコ? 俺はね」

ミカコ「私はね、ノボルくん。懐かしいものがたくさんあるんだ。ここにはなんにもないんだもん。例えばね」

ノボル「例えば、夏の雲とか、冷たい雨とか、秋の風の匂いとか」

ミカコ「傘に当たる雨の音とか、春の土の柔らかさとか、夜中のコンビニの安心する感じとか」

ノボル「それからね、放課後のひんやりとした空気とか」

ミカコ「黒板消しの匂いとか」

ノボル「夜中のトラックの遠い音とか」

ミカコ「夕立のアスファルトの匂いとか…。ノボルくん、そういうものをね、私はずっと」

ノボル「ぼくはずっと、ミカコと一緒に感じていたいって思っていたよ」

ほしのこえ全台詞集・オリジナル版


 こんなのってセンス・オブ・ワンダーって言わないのかな? 下のコメント欄を見ている限り、やっぱり違うのかもしれない。俺がセンス・オブ・ワンダーをわかってないのかな。下の記事でのコメント欄の意見は、「日常にリアリティを与えて、そこにSF的要素が現れるので、そのギャップがわかりやすいセンス・オブ・ワンダーになっている」ってことかな。この図式を採用した場合でも、自分の考えだともう一歩先に進むんだよな。「日常→SF的要素の末に→最終的にもう一度日常を発見」って感じで、この再度見出された日常にセンス・オブ・ワンダーを感じる。ハルヒもそうで、退屈な灰色の日常→非日常を探すために外部へ→色鮮やかな日常みたいな。俺の願望なだけか。


ARTIFACT ―人工事実― | 新海誠氏の新作パイロットフィルムが公開

投稿者 : hellll 投稿日 : 2002/12/31 18:51

>日常の何気ない光景を魅力的に見せようとしている辺りがちょっと共通してそう


なるほど。

丹念に描写された日常にリアリティを感じていれば、

そこで突然現れる「異質なもの」とのギャップが大きくなる。

それこそ視覚的なセンスオブワンダー。

新海氏は「リアリティ」と「ギャップ」のさじ加減が絶妙なんですね。

*1:アニメで再度見ると、「ハルヒ……かわいそうな子」と涙ぐんでしまうくらい。嘘です。

*2:『ハルヒ』流のセンスオブワンダーだと自分は思っています。『ほしのこえ』の感覚に近いかも

トラックバック - http://memoria.g.hatena.ne.jp/yu_i/20060605
 |