クリックの快楽

クリックの快楽

工事中。


指先の感情移入

 えっと、要するにギャルゲーにおける(と限定しなくても論じられると思うんだけど、現時点ではとりあえず限定しておく)クリックの持つ意味を追ってみよう、という項目。この手の要素を自分が初めて目にしたのは、元長柾木氏の文章。

「回想――祭りが始まり、時代が終わった」


TINAMIX Vol. 1.31 ギャルゲー小特集 「ギャルゲーテキスト論」 -指先の感情移入

 2000年5月16日という日付がついているから、時間的にはこちらの方が古い。紀田伊輔という人のゲームシステム論。タイトルはテキスト論だけど。テキストをシステムとしてどう出力するかといった辺りに触れてる。特に面白いのは、テキストとクリック、改ページなどと絡めて論じている所。


このシーンにおいて読者=プレイヤーは、浩之と「心を失ったマルチ」とのやりとりを外から眺めているのではなく、まさしく浩之自身としてマルチに語りかけているのだ。もちろんそれは「泣かせるくだりなのでつい感情移入してしまう」などという問題ではない。クリックによって次のテキストを表示させるというシステムそのものが、主人公に対するプレイヤー感情移入、一体化を促すのだ。

ここでのクリックは単にテキストを送るための操作ではなく、「マルチに語りかける・マルチの反応を見る」ためのアクション、コマンドとして機能している。浩之と一体化したプレイヤーマウスの左クリックや○ボタンで「また、頭なでてやるからさ」と語りかけ、反応がないことに落胆し、もう一度僅かな期待を込めて次のアクションを起こし、以前のような反応を求め何度も語りかける浩之の徒労感は、次のテキストに期待を込め何度もクリックを繰り返す徒労感として、プレイヤーと共有される。


クリックゲームの面白さ

モノーキー:ヒューマンインターフェイスとしてのギャルゲ。ルーチンワークの快楽。


モノーキーさんのこの記事ではたぶん、クリックの問題だけを取り扱ってるんじゃないと思う。プレイヤーストレスとその開放みたいな問題にも触れてるように思える。あーでもそれってRPGのザコ戦闘とかギャルゲーのだるい日常会話と同じなのかな、違うのかな。あ、違うか。自分で世界のルールを探っていく所が面白いと述べてるもんな。ゲームの面白さ、没頭を促すゲームの要因とかを言ってるのかな。



モノーキー:Re:CLOSED CIRCUIT/FEEDBACK LOOP

感情移入とはやっぱり違うらしい。

感情移入』を高める方法として、クリックするってのが有効だけれども

 そういう、面白さを上乗せにするためのクリック(身体的動作)じゃなくて、逆にクリックする気持ちよさで物語(ゲーム)を楽しくする方法はないモノかなぁと。

クリックする気持ちよさで楽しくなるゲーム。

しかも前回の記事から考えると、


  • 操作できる部分と操作できない部分がある。随意・不随意。
  • ルールを探す→ルールがわかるようになるとルーチンワーク化

なんだけど、うーん。こうなってしまうとギャルゲー的要素というか物語的要素からは遠くなってくるような。友人が言っていた言葉だけど、「自分で物語を作る」ということなのかな。例えば、テトリスは単純作業をしているように見えるけど、その友人の中では何かストーリィのようなものが毎回あるらしい。そのプレイは二度と出会えないわけで。「あーあそこで縦棒、入れておけばよかった」「あそこで、あのブロックが来なかったら死んでいた」みたいな。その後悔とか高揚に物語を感じると友人は言っていた。


ピンボールとかじゃだめなのかな。あれ、いちおうテクニックはあって、ある程度は打つ方向なり戦略は自分で調整できる。ハイになってきてからは惰性で、というか反射でボールを打ち返す。とはいうものの、ボールが当たる場所がほんの数ミリ違うだけで、自分の予測した所と違う所に返ってくる。



選択肢の問題から、実存システムなんて言われてるけど、クリックの問題からしたら、没入システムと言えるかもしれない。


ここはもうちょっと読み込む。

Analyses on Novel Games


アシュタサポテ :: 過去の日記 :: 2000-06

http://astazapote.com/archives/200006.html

なるほど、エロゲーの持つゲームとしての身体性・肉体性は、他の運動ゲー(とでも差し当たっては呼んでおこう)とは若干異なる。その最大の相違点は、後者においてはマットや専用コントローラーという入力デバイスを通じて運動がゲーム内容に直接反映されるのに対し、エロゲーではその間の接続が全く要求されない(プレイヤーの意思に一任されている)ということだろう。しかしこれを以てエロゲーの身体性を否定することはできない。僕がここで言いたい「身体性」とは、ドゥルーズ=ガタリ的な意味で<ゲーム-機械>と<プレイヤー-機械>を接続するということなのだ。だから僕はエロゲーの持つこの身体性を高く評価したい。たとえその運動がせんずりであったとしても。

(強調原文)

reading a novel game - Critique of Hentai Games経由で知る。ここで言われている身体性はたぶん、もっと大まかなものだろう。とりあえずこのレベルの議論は僕にはわからないので、クリックとギャルゲーの枠内で追ってみようと思う。